京都神社仏閣編 粟田神社(2019年04月)

場 所:京都市東山区粟田口鍛冶町1

拝 観:境内自由

拝観料:無料

拝観時間:境内自由

主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと)

元は旧粟田口村の産土神社であったと思われています。

平安時代の貞観18年(876年)に、「この年禍多し」との奏上を受けた清和天皇が勅を発令。これを受けて、従五位上出羽守藤原興世が感神院祇園社(今の八坂神社)に礼願したところ、満願の日に「我は大己貴命なり、祇園の北東の牛頭天王(素戔嗚尊のこと)ゆかりの地に祀れ」とのお告げを受けた。そこでこの旨を朝廷に報告し、勅令により粟田口に社を建て御神霊をお祀りした。これが始まりと考えられています。

江戸時代頃までは、感神院新宮又は粟田天王宮と呼ばれていましたが、明治になり現在の粟田神社と改称されました。

古より東山道・東海道に面し、京への主要な出入口であったことから、旅立ちの守護神として崇められていました。

佛光寺の前の細い路地道(三条通りの一本西の通り)を西に進むと、粟田神社の二の鳥居前に出ます。

二の鳥居前から北の路地を見ると一の鳥居が見えます。

一の鳥居を三条通り側から見た景色。

二の鳥居から石段が続き上に境内があります。

参道の途中に桜があります。

この石段の参道は秋になると紅葉のトンネルになります。(この1枚は、2018年11月27日に撮影したものです)

石段途中の右手に馬の銅像(神馬像)があります。古くから神社には神様が乗られるためにと馬が飼われていました。それに因んで明治44年に個人により奉納されたものです。

境内図。(字が見ずらいですが)

境内に入って右手の社務所の前から手水舎、拝殿、本殿。本殿の左側の3つの末社を見て、裏側を通り右側へ。池の横を通り3つの祠、絵馬所、神楽所の順に見て回ります。

拝殿は元禄16年(1703年)に建てられたと伝えられています。檜皮葺の屋根は、平成21年に新しく葺き替えられました。

本殿は三間社流造りで、本殿の前に幣殿を接続する複合社殿です。幣殿は桁行2間・梁行3間で正面に方1間の拝所を付設しています。現在の本殿は、文化2年(1805年)に焼失後、文政6年(1823年)に再建されたものです。

本殿の右手前には、光格天皇御胞衣之松があります。

本殿の左側には、手前から朝日天満宮・多賀社、大神宮、出世恵美須神社の3つの祠が並んでいます。朝日天満宮は菅原道真公を祀る学問の神様、多賀社は滋賀県にある多賀大社の御分霊を祀る縁結び・長寿の神様です。大神宮は隣の青蓮院の坊官であった鳥居小路家の鎮護神でしたが、明治になって当地に遷座されたものです。出世恵美須神社は、元は三条蹴上にありましたが、明治になって当地に遷座されました。御神像は伝教大師の作と云われており、家運隆盛・商売繁盛の神様です。

出世恵美須神社の前から見た本殿。

裏側(北側)から見た本殿。

一周して、南側から見た本殿。

本殿南側には神輿倉があり、その隣に吉兵衛神社があります。青蓮院の門の東に祀られていた土地の守護神です。

振り返って入口(西)側を見ると拝殿越しに社務所が見えます。

境内の南側から西側を見て行きます。池がありその横に太郎兵衛神社があります。太郎兵衛神社から将軍塚に至る登山道の入口があります。現在は閉鎖されています。

太郎兵衛神社は、青蓮院の門の西に祀られていた土地の守護神です。

その横に北向稲荷神社があります。創建年代は不詳、古くから境内に鎮座していたと考えられています。

その横(西南隅)に絵馬堂があります。西側の社務所の左隣には神楽殿があります。

拝殿の北側に休憩処があり、市内が見渡せます。

石段を下りて二の鳥居へ。

2019年04月05日撮影

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