京都庭園散歩 二条城(2019年3月)
場 所:京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
休城日:年末年始(12月26日~1月4日)及び12月・1月・7月・8月の毎週火曜日
拝観料:600円(2019年4月1日~二の丸御殿は別途拝観料が必要)
拝観時間:8:45~17:00(16:00受付終了)
慶長8年(1603年)江戸幕府書だ将軍・徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所とするために築城。天守は慶長11年(1606年)に完成。
寛永8年3月12日に家康入城、3月27日に重臣や公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を執り行う。慶長16年(1611年)には、家康と豊臣秀頼の会見が現在の二の丸御殿にて行われた。
三代将軍・徳川家光の時代に、後水尾天皇行幸のために大規模な改修が行われた。城域を西側に拡張し、天守も西側に位置を変え、廃城となった伏見城の天守を移築。しかし、天守は寛延3年(1750年)に落雷により焼失、その後再建されていない。
慶応3年(1867年)10月、15代将軍徳川慶喜が二の丸御殿にて大政奉還の意思を表明。
明治4年(1871年)に二の丸御殿は京都府庁舎、明治6年(1873年)の陸軍省の所管を経て明治17年(1884年)に宮内省の所管となり「二条離宮」となる。明治26年(1893年)から翌年にかけて、京都御苑にあった旧桂宮邸を本丸に移築し本丸御殿とした。昭和14年(1939年)京都市に下賜された。
庭園は二の丸庭園と本丸庭園と清流園の三か所があります。
平成6年(1994年)世界遺産に「古都京都の文化財」として登録。
堀川通りに面する受付を経て、東大手門(重要文化財)へ。正門にあたり、現在の門は寛文2年(1662年)の建築とされています。
向かって左手には、東南隅櫓(重要文化財)が見えます。二条城には内堀・外堀あわせて9棟の櫓がありましたが、現存するのは東南隅櫓と西南隅櫓の二つだけです。一階屋根に千鳥破風が載せられ、内部は板敷で武器庫として使用されていました。
内側から見た東南隅櫓。
正門を潜り突き当りを左折れすると二の丸御殿の唐門前に出ます。唐門は二の丸御殿の正門で、切妻造・檜皮葺の四脚門で屋根の前後に唐破風が付きます(重要文化財)。
門を潜ると正面に二の丸御殿(国宝)が見えます。東南から北西にかけて、遠侍・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院の六棟が雁行形に並ぶ御殿で、部屋数33室800畳余りに及びます。内部は狩野派の障壁画で飾られています。(御殿内部は撮影禁止)
御殿左手に「二の丸庭園」(特別名勝)への入口があります。
入口の右手に釣鐘が2つ置かれています。京都所司代屋敷で火事等の緊急事態を周辺に知らせるために使用されていたものを、慶応3年(1867年)に所司代廃止されて後、二条城に移されたものだそうです。
入口を入ると広い芝生地の庭園があり、その向こうに二の丸庭園が見えます。
少し進むと右手に御殿の遠侍と式台の建物が見えます。
大広間、蘇鉄の間、黒書院に面する形で庭園は広がっています。
小堀遠州の代表作として知られる桃山様式の池泉回遊庭園で、別名「八陣の庭」とも呼ばれています。池には、中央やや左寄りに蓬莱島、その北に亀島、南に鶴島の3つの島が浮かび、北西部には二段の滝が設けられています。
庭園を出ると右手に御殿最奥の白書院が見えます。
白書院の北側から南側の庭園入口を見た景色。右手は本丸に行く路です。
白書院の北西隅から東側を見た景色。
二の丸庭園を出て、3代将軍家光が拡張した本丸庭園の方に向かいます。本丸御殿及び庭園は現在修復中です。工事終了予定は2019年3月31日です。寛永3年(1626年)頃に建てられた本丸楼門を右手に見て内堀沿いを南へ。
北側の鳴子門と対になっている長屋門形式の桃山門を抜けて桜の庭へ。
桜の庭を左に見て内堀沿いに進むと南中仕切門があります。南中仕切門は背面の屋根だけが延びるという変わった構造をしており、門の上に立つ土塀と左右を石垣に囲まれていることから、「埋門(うずみもん)」と呼ばれています。
南中仕切門を抜けて、内堀沿いに梅園の中を通って西南隅櫓へ。梅園は別途「二条城の梅園」編に載せています。西南隅櫓も同じく寛永3年(1626年)頃の建築で、東南隅櫓よりも一回り小さく、一階屋根には優美な曲線の唐破風が乗せられています。
右折れして土蔵(南)米蔵(重要文化財)を見ながら内堀沿いに北側へ。
西橋から本丸御殿へ。
西橋の上から南側と北側を見た景色。
修復工事中の本丸御殿と本丸庭園を見ながら天守閣跡へ。本丸庭園は明治天皇の行幸の際に、もとあった枯山水庭園を大改造した庭園で、東南隅に築山を配し、芝生を敷き詰めて曲線的な園路を設けた回遊式庭園です。
天守閣跡は現在展望台となっており、本丸庭園や京都の街の景色を見渡すことが出来ます。
西橋に戻って北側の土蔵(北)米蔵(重要文化財)へ。
土蔵前から西門に至る路があります。
内堀に沿って北側の北中仕切門へ。
門を出ると左手に、二条城にある三つある庭園の内の最後の庭園「清流園」があります。昭和40年(1965年)に、京都の豪商・角倉家から建物材、庭石、樹木を譲り受けて作庭された庭園で、香雲亭、茶室和楽庵がある和風と芝生の洋風からなる和洋折衷庭園です。
入口付近に加茂七石があります。
和楽庵と香雲亭
更に進んで北大手門へ。北大手門(楼門)は慶長8年(1603年)の築城時代のものか寛永3年(1626年)の行幸時代のものかは不明。北側に京都所司代があったことから連絡用に使用されていたのではないかと考えられています。
二条城案内図
2019年03月08日撮影
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