京都庭園散歩 龍安寺(2019年3月)

場 所:京都市右京区龍安寺御陵下町13

拝 観:無休

拝観料:500円

拝観時間:8:00~17:00(3月1日~11月30日)

     8:00~16:30(12月1日~2月末日)

臨済宗妙心寺派の寺院、山号は大雪山、本尊は釈迦如来。

平安時代末に藤原北家の流れをくむ徳大寺実能がこの地に山荘を建立。宝徳2年(1450年)になり、この大徳寺家の別荘を室町幕府菅領で守護大名の細川勝元が譲り受け、妙心寺8世住持・義天玄承(ぎてんげんしょう)を開山に迎えて創建した禅寺。

応仁の乱により焼失したが、明応8年(1499年)細川勝元の子・細川政元と4世住持特芳禅傑(とくほうぜんけつ)により再興。

寛政9年(1797年)の火災で、方丈・仏殿・開山堂などの主要伽藍を焼失。そのため塔頭の西源院から方丈を移築して現在に至る。

平成6年(1994年)世界文化遺産に登録。

寺の南側には広大な鏡容池があり、池泉回遊式庭園となっていて国の名勝に指定されています。方丈の南にはいわゆる「龍安寺の石庭」と呼ばれる三方が築地塀に囲われた枯山水庭園があり、国の史跡・特別名勝に指定されています。

移築された方丈は慶長11年(1606年)に建立されたもの。本来は狩野派の襖絵があったが、明治の廃仏毀釈の影響により散逸。その内の6面(「群仙図」20面の内の4面と「琴棋書画図」20面の内の2面)が、2010年6月に115年振り帰還しました。また、昭和28年(1953年)から5年がかりで皐月鶴翁(さつきかくおう)が描いた龍と金剛山の襖絵がありますが非公開となっています。現在は、方丈右側に「群仙図」4面と「琴棋書画図」2面が飾られています。

方丈左側の「芭蕉図」9面も2018年に123年振りに帰還し、併せて特別公開されています。

仏殿は1981年の再建。また仏殿の西側には、昭和57年(1982年)に室町時代風に復元された「西の庭」がありますが、非公開となっています。庭の中央あたりに細川廟が建っています。

駐車場から土産物屋が並ぶ参道を経て山門へ。


境内図

鏡容池・東側を巡り、池に浮かぶ伏虎島や辨天島を見ながら、三笑橋を渡って庫裡が見える参道まで。

参道を直進して辨天島の方へ

辨天島への参道から左に伏虎島が右に大珠院などが観られます。

戻って、井戸を越えて庫裡に向かって進むと、左に石の大仏があり梅が咲いていました。

左右の「龍安寺垣」に導かれて石段を登ると庫裡があります。「龍安寺垣」は、透かしの部分に割竹を菱形に用いているのが特徴です。

庫裡で受付を済ませ、左の方丈の方へ。左側に石庭のレプリカがあります。

方丈をぐるっと一周する形で拝観。南側は有名な石庭「虎の子渡しの庭」、西側は仏殿、北側は苔地の庭園と「知足の蹲踞」、東側は苔地の庭に侘助椿があります。

石庭は幅25m、奥行10mほどの空間に白砂を敷き詰め、東から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15個の大小の石を配しています。室町末期の作庭と伝わるが諸説があり不明。

どの位置から眺めても1つ石が見えないように配置されているとのこと。ただし、立って見ると15個すべての石が見える所が一か所あるとのことです。


左側の5個と2個

中央

右側の3個、2個、3個の石

方丈内の襖絵、右側4面が帰還した「群仙図」です。

縁側を右に折れて方丈西側へ、苔地の庭を挟んで渡り廊下とその先に仏殿が見えます。

更に右に折れて北側へ。苔地の庭と徳川光圀が寄進したと伝わる「知足の蹲踞」、北東隅には池が見えます。北側にある蹲踞はレプリカで、本物は方丈の北東にある「茶室蔵六庵」(非公開)の露地に置かれています。

更に右に折れて方丈東側へ。苔地の庭に、龍安寺垣と秀吉が賞賛されたと伝わる「侘助椿」があります。日本最古とも云われています。

庫裡の受付を出てすぐ右折れ(西側)、石畳沿いに進むと勅使門があり、石庭を取り囲む油塀があります。勅使門は寛政9年(1797年)に焼失したため、西源院の唐門が移築されたもので、重要文化財。エリザベス女王夫妻はここから入られて庭園をご覧になったとのこと。

参道を暫く進むと右手に仏殿へ至る石段と門が見えます。

参道の突き当りにはパコダと納骨堂があります。

納骨堂から右手に桜苑を見ながら歩くと鏡容池の西側に出ます。

鏡容池の南側を巡って元の山門へ

2019年03月14日撮影

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