京都庭園散歩 永観堂(2018年11月)
場 所:京都市左京区永観堂町48
拝 観:無休
拝観料:600円(寺宝公開中は1000円)
拝観時間:9:00~17:00(16:00受付終了)
浄土宗西山禅林寺派総本山で、正式名称は禅林寺、山号は聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号は無量寿院、本尊は阿弥陀如来。
空海の高弟である真紹(しんしょう)僧都が、仁寿3年(853年)に歌人・文人であった故・藤原関雄の山荘を買い取り寺院とすることにした。貞観5年(863年)に清和天皇より鎮護国家の道場として勅額を賜り「禅林寺」と号した。
当初は真言道場として始まったが、7世永観(ようかん)律師のときに、律師が浄土の教えに感銘を受け、徐々に浄土念仏道場へと変化していった。人々に念仏を勧めるとともに、承徳元年(1097年)寺内(東五条悲田院の近く)に薬王院を建て阿弥陀像を安置し、施療所を設けて、病人救済などの慈善事業も盛んに行った。
本尊・阿弥陀如来立像(重要文化財)は頭部を左(向かって右)に向けているため「みかえり阿弥陀」として有名。平安末期から12世紀後半の作と考えられています。この像については次のような伝承があります。永保2年(1082年)に永観が日課の念仏を阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来が須弥壇から下りて一緒に行道を始めたそうです。驚いた永観が足を止めると、阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったいう。それ以来首の向きが戻らずそのままの姿で安置されているのだそうです。
鹿ケ谷通りを南に下ってくると、南禅寺に至る手前の東側に参道があり、その奥に総門があります。
総門を入って参道を進むと中門(京都府指定文化財)があります。
中門を入ると左手に浴室があります。中門は正徳3年(1713年)に建てられた「薬医門」と呼ばれる形式で、京都府指定文化財です。
正面に寺務所・鶴寿台・大玄関が南北に並んでいます。
右手には中島が浮かぶ放生池があり、南側には極楽橋が架かっています。中島には弁天社があり西南側の対岸から錦雲橋が架かっています。
大玄関を入って右を見ると、左が釈迦堂で右が唐門。その間に白砂を盛り上げた前庭があります。(台風の影響があって少し痛々しい感じがしますが)
唐門(勅使門)は文政13年(1830年)の建築で京都府指定文化財です。釈迦堂(方丈)は寛永4年(1627年)の建築で入母屋造・桟瓦葺、京都府指定文化財です
方丈の縁に沿って左に曲がると南庭があります。南庭に西側と東側。
南庭の中央に小さな池があり、東奥の千佛洞から白砂に流水模様が描かれています。途中に可愛い蹲踞が置かれています。
釈迦堂の東奥から南庭を見た景色。
寺務所と鶴寿台と古方丈とに囲まれたところに坪庭があります。
鶴寿台・釈迦堂・瑞紫殿・古方丈に囲まれた中庭には、L字形の池があり釈迦堂の縁側に座って眺めることが出来ます。右の縁側が釈迦堂、左が古方丈、奥が瑞紫殿です。
釈迦堂から古方丈を見た景色。
古方丈から釈迦堂を見た景色。
古方丈と瑞紫殿との間の渡り廊下から見た景色。
瑞紫殿と釈迦堂との間のL字形の細い池。
御影堂の東側から多宝塔に至る臥龍廊を見た景色。臥龍廊は、寺伝では永正年間(1504年~1521年)の建立とされているが、現在使用されている部材は昭和時代のものであり不明。
御影堂から多宝塔を見た景色。御影堂は大正元年(1912年)に完成した総欅造の仏堂。多宝塔は昭和3年(1928年)の建立。
御影堂から阿弥陀堂を見た景色。
御影堂の南側、阿弥陀堂に至る石段。阿弥陀堂(本堂)は、慶長2年(1597年)に大阪・四天王寺に建立された曼荼羅堂を、慶長12年(1607年)に移築したもの。入母屋造、本瓦葺で京都府指定文化財です。内部に「みかえり阿弥陀如来立像」(重要文化財)を安置しています。
御影堂から南西の龍吐水の方向を見た景色。
御影堂から放生池の方向を見た景色。
阿弥陀堂の南にある鐘楼。鐘楼は宝永4年(1707年)の建立で、京都府指定文化財です。
放生池に戻って、極楽橋を渡り西側にある画仙堂へ。
楓橋辺りから南門の方を見た景色。
2018年11月27日撮影
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