京都神社仏閣編 東向観音寺(2019年04月)

場 所:京都市上京区今小路通御前通西入上る観音寺門前町863

拝 観:境内自由

拝観料:無料

拝観時間:不明

延歴25年(806年)に、桓武天皇の勅を奉じて、藤原小黒麿及び賢璟法師が皇城鎮護のため創建した朝日寺が始まりとされています。天歴元年(947年)に菅公(菅原道真)廟をこの地の移し、朝日寺の最鎮らが北野天満宮を建立して、朝日寺を北野天満宮の神宮寺とした。応和元年(961年)に筑紫観世音寺より、菅原道真公自作の十一面観音を招来して新たに本尊とした。応長元年(1311年)無人如導宗師が筑紫の観世音寺に擬して、名称を観音寺と改めた。

当初は、観音堂の向きにより東西の観音寺があったが、数度の火災に会い西向きは再興されず、東向きだけが再興されて現在に至る。

真言宗泉涌寺派、準別格本山。本尊は十一面観音菩薩。

北野天満宮の一の鳥居をkindle潜って参道を暫く進むと、左手(西側)奥に門が見えます。

門を潜ると正面に礼堂があります。見えにくいですが奥に本堂があります。礼堂と本堂は造合で繋がれた複合形式の建物だそうです。本堂は慶長12年(1607年)に豊臣秀頼により再建された建物で、礼堂と造合は元禄7年(1694年)に増築されたものだそうです。

右手に明暦元年(1655年)に大明国の陳元贇禅師より寄進された観音像を祀る白衣観音堂と御朱印所があります。

左手には行者堂があります。

行者堂と本堂の間の道の左手奥に、菅原道真公の母君の御廟と伝わる伴氏廟があります。4mを超す大きな五輪塔で、元は北野天満宮三の鳥居の西側にあったものが、明治の廃仏毀釈で現在の地に移転したもの。

五輪塔の左手奥に、祠に入った小さな石燈籠があり、「蜘蛛燈籠」と呼ばれていています。その昔七本松通一条辺りに源頼光を悩ませていた土蜘蛛(先住の背が低い穴居民族こと)が棲んでおり、その辺りが塚として残っていたそうです。明治期にこの塚を発掘した時に出土した遺物がこの石燈籠だそうです。これを買い取って庭に置いていたところ家運が傾き、土蜘蛛の祟りだと云われたので東向観音寺に奉納されたとのことです。

2019年04月04日撮影

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