京都庭園散歩 二条城(2019年04月)

概要については、二条城(2019年03月)に載せています。ただし、2019年04月01日から二条城の入城料と二の丸御殿の観覧料に二分されました。

休城日:年末12月29日~12月31日

二の丸御殿休殿日:毎年12月・1月・7月・8月の火曜日(祝日の場合は翌日)

         1月1日~1月3日、12月26日~12月28日   

拝観時間:通常 8:45~17:00(16:00受付終了)

    夜間観覧(3月21日~4月14日) 18:00~21:30(21:00受付終了)

    7月~8月 8:00~18:00(17:00受付終了)

    9月 8:00~17:00(16:00受付終了)

二の丸御殿拝観時間:通常 8:45~16:10

    7月~8月 8:45~17:10

拝観料:入城料 600円

    二の丸御殿観覧料 400円

    展示収蔵館観覧料 200円

    (2019年10月01日から料金変更あり、それぞれ620円・410円・200円となります)

今回は本丸御殿の庭園が解放されましたので、観桜を兼ねて訪れました。本丸御殿自身はまだ工事中です。東大手門前から東南隅櫓。

東大手門を入って右手の番所。

今回は東大手門を入って南側の南門をみてから、唐門を潜って二の丸庭園へ。二の丸庭園の出口から一旦南に下がって、桃山門を潜り、南中仕切門との間にある桜の園を観賞。この先は03月に見た梅林なので、引き返して東橋を渡って本丸楼門を潜って本丸庭園へ。本丸庭園を観賞した後、西橋から休憩所を経て南に下り西南土蔵付近まで桜を観賞。戻って北に上がり西北土蔵を右に折れて北中仕切門へ。北側の和楽庵・香雲亭を見て、一旦南の鳴子門を見た後清流園を経て北大手門前の緑の園へ。ここも桜があり出店が出ています。緑の園から南に下り二条城障壁画展示収蔵館の前を通って出口へのルートで巡ります。

唐門前から西にある庭園入口。

入って直ぐ左手にある南門。大正4年(1915年)に、大正天皇の即位の儀式が京都御所の紫宸殿にて行われました。その際、その後の饗宴が二条城にて開催され、大正天皇の入城口として新たに設置された門です。

南門の前から奥(西側)の桜苑の景色。

南門を見て戻って、唐門から二の丸御殿の車寄の前を通過して、入口から二の丸庭園へ。

二の丸御殿の大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院が南北に並ぶのを右手に見ながら、南から庭園の池に沿って進みます。

二の丸庭園の出口付近、白書院の近くの桜。

二の丸庭園を出て掘りに沿って南にある桃山門へ。

桃山門を入って突き当りから東の南門の方向をみた景色。

桃山門から南中仕切門との間にある桜の園を観賞。

南中仕切門を見て戻ります。

再度、桃山門を潜って掘り沿いを北に本丸楼門へ向かいます。

本丸楼門は寛永3年(1626年)頃の建築で、本丸西楼門(焼失)とともに城を防御する重要な門です。扉は火器に備えて銅板で覆われています。

楼門を潜って石段を登ると左手に本丸庭園が見えて来ます。

内側から見た本丸楼門。

本丸庭園の初期の頃の様子は史料が不足しているため良く分かっていません。天明8年(1788年)の大火の飛び火により、本丸御殿・隅櫓・多門櫓などが焼失、庭園も類焼して空地と化したと思われます。幕末には、徳川慶喜の居室が建てられ、庭園は茶庭風に作庭されました。

しかし、居室の老朽化とともに、明治14年(1881年)に建物は撤去され、庭園も取り壊され再び空地となりました。その後、明治26年(1893年)から明治27年(1894年)にかけて、京都御苑内にあった旧桂宮邸の一部が移築され、枯山水庭園が作庭されました。

明治28年(1895年)明治天皇が本丸に行幸された折、改造を命じられ、翌明治29年(1896年)に芝庭風築山式庭園に作庭しなおされました。

全面に芝生を植え、東南隅に月見台(築山)を配し、曲線的な園路を設けて、石段沿いにアラカシ・ベニカナメなどを植樹し、所々に燈籠や庭石が置かれています。

本丸庭園東側。


東南隅の月見台(築山)。

庭園南側(中央部)

松と雪見灯篭


西側から中央部を振り返って見た景色。

西側の庭園。

西端から北の本丸御殿の方を見た景色。

西端にある天守台に登って四隅からそれぞれの方向の景色を見ます。北東隅から東の本丸庭園を見た景色。

東南隅から東の梅林・桜の圓を見た景色。。

西南隅から西南隅櫓の方を見た景色。。

西北隅から西南隅櫓の方と北の西橋の方を見た景色。

天守台を下りて本丸庭園を出ます。

西橋を渡って休憩所へ。大きな紅枝垂桜があります。

休憩所を挟んで城の西側の堀に沿った道沿いに桜があります。まずは桜を見ながら南の西南櫓へ。

休憩所に戻って北へ桜を見ながら歩くと

西門に至る道があります。

右手に折れて北中仕切門を出て北側の清流園へ。

この地は、創建時代は城内通路と天守閣の一部が存在していたと推定されています。家光の時代の寛永元年(1624年)からの大改修の折、天守閣は淀城へ移築され空地となります。その後、在番衆の住居が建設され、幕末まで住居群がありました。明治以降は撤去され緑地に整備されたと考えられています。

大正4年(1915年)に大正天皇即位式の饗宴の儀の会場として利用され、饗宴施設が建設されました。終宴後建物は撤去移設されて、跡地に小川治兵衛氏が疎林式庭園を作庭しました。

昭和25年(1950年)進駐軍によりテニスコートに転用されましたが、昭和40年(1965年)清流園が造営され現在に至っています。

西半分は和楽庵・香雲亭がある池泉回遊式庭園、東半分は芝生を敷き詰めた洋風庭園となっています。


香雲亭がある付近から右手(南側)を見ると堀と鳴子門が見えます。

一旦鳴子門へ。

戻って北大手門への通路へ。

北大手門の反対側(南側)には米蔵があります。

北大手門に向かって右手(東側)に緑の園があります。出店が出ていました。(通常はありません)

緑の園を見ながら右(南側)に折れると二条城障壁画展示収蔵館があります。その前には、お酒の出店が一列に並んでありました。(通常はありません)

2019年04月05日撮影

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