京都神社仏閣編 仁和寺(2019年03月)
場 所:京都市右京区御室大内33
拝 観:無休
拝観料:通常は境内自由
御殿は500円、霊宝館は期間限定で500円
茶室(遼廓亭・飛濤亭)は5名以上で7日前までに要予約で1000円
特別入山料(御室桜の開花時期)は500円
拝観時間:9:00~16:30(16:00受付終了)
仁和寺(にんなじ)は、真言宗御室派総本山で山号は大内山。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、平成6年(1994年)12月に世界遺産に登録されています。
仁和寺は平安時代初期、光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建設が開始されたが、光孝天皇が翌年崩御したため、遺志を引き継いだ宇多天皇によって仁和4年(888年)に完成した。当初「西山御願寺」と称していたが、やがて年号をとって仁和寺と号するようになった。
宇多天皇は出家後仁和寺第1世宇多(寛平)法皇となり、仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだことから、「御室御所」の別称があります。宇多法皇以降、皇室出身者が代々住職(門跡)を務め、平安~鎌倉中期にかけて門跡寺院として最高の格式を誇っていました。
しかし、応仁の乱(1467年-1477年)により伽藍は焼失。本尊の阿弥陀三尊像などは持ち出され焼失を免れ、院家であった真光院へ移されました。
約160年後の寛永年間(1624年~1644年)になって、徳川幕府により伽藍が整備されました。また、寛永年間の皇居(現・京都御所)建て替えに伴い、旧皇居の紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(現 御影堂)などが仁和寺に下賜され、境内に移築されました。
慶応3年(1867年)第30世純仁法親王が還俗したことにより、皇室出身者が住職となる宮門跡の歴史は終了しました。
国宝 金堂
重要文化財 五重塔・観音堂・中門・二王門・鐘楼・経蔵・御影堂・御影堂中門・
九所明神社本殿・本坊表門・遼廓亭・飛濤亭
登録有形文化財 宸殿・大玄関・白書院・黒書院・霊明殿・勅使門・皇族門・霊宝館
名勝 仁和寺庭園・御室桜
今回は、53回目京の冬の旅「京都にみる日本の絵画~近世から現代~」(2019年01月10日~03月18日)で、金堂と経蔵が公開される事に合わせて訪問しました。転法輪寺から仁和寺の土塀に沿って南下、東門から境内へ。
仁和寺の東側の土塀。
今回は、東門→黒門→九所明神→五重塔→経蔵→金堂→水掛不動尊→御影堂→鐘楼→観音堂→中門→勅使門→二王門の順に拝観していきます。(境内図)
東門を潜って境内に入り拝観受付を右折れ黒門へ。
黒門を入ると左手に五重塔が右手正面に九所明神(くしょみょうじん)が見えます。寛永18年(1641年)~正保元年(1645年)に建てられた社殿です。中央本殿には八幡三神を、東側左殿には賀茂上下・日吉・牛頭・稲荷を、西側右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の合計9座の明神を祀っています。
鳥居を潜ると拝殿があり、その奥に本殿があります。
本殿の前にある石燈籠は、安土桃山時代の茶人・古田織部が創案した織部形石燈籠です。
次に五重塔へ。寛永21年(1644年)の建立で、塔身32.7m・総高36.18mです。東寺の五重塔と同様、上層から下層にかけて各層の幅に余り差が無いのが特徴です。塔内部には大日如来と四方仏を安置しています。
そして経蔵へ。寛永18年(1641年)~正保元年(1645年)に建てられた、宝形造・本瓦葺きの建物で、正面に両開きの板唐戸を設け、左右に花頭窓を配置した禅宗洋式の建物です。
内部には釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩など6躯を安置し、壁面には八大菩薩や十六羅漢が描かれています。中央に大きな八面体の回転式書架(輪蔵)があります。各面に96箱、総計768箱の経箱が備えられています。(内部は撮影禁止)
金堂へ。慶長18年(1613年)に建てられた旧皇居の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)に移築したもので、現存する最古の紫宸殿として近世の寝殿造遺構として貴重な建物です。内部には、本尊の阿弥陀三尊のほか四天王像や梵天像を安置し、壁面には浄土図や観音図が描かれています。(内部は撮影禁止)
金堂の東側と西側。
水掛不動尊へ。近畿三十六不動霊場の第十四番札所で、石造りの不動明王を安置しています。金堂と御影堂との間で、鐘楼の北奥にあります。
水掛不動尊の西側に御影堂への門が開いています。御影堂は、慶長年間に造営された旧皇居・清涼殿の用材を用いて寛永18年(1641年)~正保元年(1645年)に建設されたものです。約10m四方の檜皮葺の建物で、内部には弘法大師像・宇多法皇像・仁和寺第2世性信親王像を安置しています。
御影堂の中門を出て鐘楼へ。御影堂中門も同じく寛永18年(1641年)~正保元年(1645年)に建てられたものです。鐘楼は寛永21年(1644年)に建てられたもので、入母屋造・本瓦葺きです。
鐘楼前からは、西に西門、南に手水舎と観音堂、東に金堂が見えます。
手水舎前から鐘楼を見た景色。
観音堂は寛永18年(1641年)~正保元年(1645年)に建てられたもので、入母屋造・本瓦葺きで前後に向拝が付いています。内部には、本尊・千手観音菩薩像を中心に、脇侍の不動明王像・降三世明王像、その周りに二十八部衆像が安置され、周囲に壁画が描かれています。(内部は通常非公開)
観音堂前から五重塔が見えます。
中門へ。中門も同じく寛永18年(1641年)~正保元年(1645年)に建てられたもので、切妻造・本瓦葺きの柱間三間の八脚門です。向かって左側に西方天(広目天)、右側に東方天(持国天)を安置しています。
中門を出て、広い参道を南の二王門へ。途中右手(西側)に御殿の勅使門があります。勅使門は、大正2年(1913年)の竣工、檜皮葺の四脚門で前後を唐破風、左右の屋根を入母屋造としています。
勅使門を過ぎて二王門の手前右側(西側)に本坊表門があります。文禄5年(1596年)~慶長20年(1615年)の建立です。
二王門へ。二王門も同じく寛永18年(1641年)~正保元年(1645年)の建物で、高さ18.7m・重層・入母屋造・本瓦葺きです。左右に阿吽の二王が安置されています。
2019年03月18日撮影
0コメント