京都庭園散歩 眞如寺(2019年05月)

場 所:京都市北区等持院北町61

拝 観:通常非公開

    春期特別拝観(05月05日~05月15日)「眞如寺法堂内 宝鏡寺宮像四体修復記念・青も

    みじとカキツバタ」     

拝観料:春期特別拝観時600円、お茶席(菓子付き)500円

拝観時間:春期特別拝観時10:00~16:00

臨済宗相国寺派の寺院で、山号は萬年山。鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)とともに相国寺の3つの山外塔頭を構成する寺院の1つです。勧請開山は無学祖元(仏光国師)、本尊は宝冠釈迦如来です。

無学祖元歿後の弘安9年(1286年)、無学の弟子で京都尼五山筆頭・景愛寺住職であった、無外如大尼が、無学の遺爪髪を祀るための塔所として「正脈庵」(しょうみゃくあん)を建てたのが始まりと云われています。

無外如大尼没後も住持を置き、同じく無学の弟子である高峰顕日(佛国国師)などが施主となり同庵は代々維持されました。高峰顕日の弟子で、無学祖元の法孫である夢窓疎石(夢窓国師)が、暦応5年(1342年)に足利尊氏の執権・高師直と尊氏の弟の足利直義の外護を受けて、庵を東側に移して寺院として整備しました。この際に無学祖元初住の中国浙江省台州真如寺(現在廃寺)に倣い、寺号を真如寺としました。 

そして無学祖元を勧請開山に、無外如大尼を勧請開基とし、夢窓自身は第二世として入寺しました。その後室町幕府の手厚い保護を受けていましたが、 寛正2年(1461年)に焼失後、応仁の乱の混乱もあり、寺は一時期廃寺状態となりました。

その後、明應8年(1499年)より方丈や仏殿が段階的に復興されました。宝鏡寺門跡であった花屋尼長老は、無学祖元、無外如大尼の深縁を慕っていたことから、没後天正4年(1576年)当寺を墓所として埋葬され、これ以降宝鏡寺歴代の菩提所となりました。

立命館大学衣笠常キャンパスの南、等持院の東隣りにあります。春期特別拝観で訪れました。南側から受付を済ませ、参道を北に進みます。

境内図。

参道を進むと山門が見えて来ます。

山門の手前、左右に池がありカキツバタがあります。

山門を潜って境内へ。

因みに、非公開時(2019年04月09日)に訪問した時は山門は閉じていましたので、非公開時は西門から境内になります。

右手に客殿前庭に通じる門があります。

非公開時(2019年04月09日)に訪問した時は門は開いていました。

更に進むと十字路に出ます。右が客殿と玄関、左は西門に至る参道、正面は法堂に至る参道があります。右の客殿と玄関。

左側の西門に至る参道には、2つの祠(鎮守社)があります。

法堂に至る参道の左手に半僧坊大権現の建物があります。大正7年(1918年)に遠州奥山の大本山方広寺の鎮守である半僧坊大権現の分身を新たなる鎮守として勧進したものです。

半僧坊大権現の北側に七重石塔があります。

石塔の後ろに桜があります。(非公開時(2019年04月09日)に訪問)

正面に法堂(仏殿)。明暦2年(1656年)に後水尾天皇によって本格的に再興されたものです。今回は内部が特別公開されています。中央奥に2階建て風の須弥壇があり、中央に宝冠釈迦如来坐像、左右に摩訶迦葉尊者像と阿難尊者像。須弥壇を取り囲むように、無学祖元等のゆかりの高僧の坐像が並んでいます。(写真撮影不可)

非公開時(2019年04月09日)の法堂、桜があります。

法堂から見た境内。

戻って客殿入口から内部へ行きます。

客殿には江戸時代後期の画家・原在中筆の襖絵「四季花卉図」「西湖図」「雀朝顔図」などがあります。南側には枯山水庭園があり、牛塔(宝塔)、待合、石灯篭などが趣きを添えています。

客殿の奥を右に行くと書院があり、左に行くと茶室があります。書院の東側には池がありもみじが茂っています。

茶室からは花頭窓越しに石灯篭の庭が見られます。

2019年05月09日撮影

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