京都庭園散歩 妙満寺(2019年05月)
場 所:京都市左京区岩倉幡枝町91
拝 観:無休
拝観料:500円
拝観時間:9:00~16:00(境内は9:00~17:00)
顕本法華宗の総本山で山号は妙塔山、開山は日什、開基は天王寺屋通妙、本尊は三宝尊です。塔頭は正行院・法光院・成就院・大慈院の4院があります。
永徳3年(1383年)、日什が天王寺屋通妙の外護を得て、現京都市下京区に法華堂を建立したのが当寺の草創とされています。康応元年(1389年)伽藍を整備し、妙満寺と称するようになりました。 その後焼失等により移転・再建を繰り返しましたが、昭和43年(1968年)に現在の岩倉の地に移転しました。昭和48年(1973年)に仏舎利大塔が建立されています。
庭園としては、本坊の東側に「雪の庭」と呼ばれている庭園があります。
幡枝バス停から北にすぐ、左に入ると門前に出ます。
山門の前には池があり石橋が架かっています。池には蓮やカキツバタが植えられ、周囲はツツジ園となっています。5月15日でカキツバタが終了し、18日・19日の大法要の準備と清掃が行われていました。
山門を入ると右手に水屋(手水舎)があります。
境内図
左手には鐘楼があります。
正面には参道の先に本堂が、参道南側には、西から仏舎利大塔と四つの塔頭(成就院・正行院・法光院・大慈院)が並んで建っています。仏舎利大塔はインドのブッタガヤ大塔を形どって建てられており、1階には本尊と久遠本仏釈迦牟尼仏像を安置し、最上階は仏舎利を納めています。また、平成21年(2009年)に外壁面にお釈迦さまの仏像486体を奉安したそうです。
右手には寺務所(方丈)があり、その奥(西側)は墓地になっています。寺務所の前には、「中川の井の石標」と「五条大橋・橋脚石」があります。「中川の井」は、旧地の寺町二条の妙満寺境内にあって、室町時代の茶人・能阿弥が定めた京の七名水の一つでしたが、寺の移転に伴って石標を現在の地に移転したものです。
「五条大橋・橋脚石」は天正年間に豊臣秀吉の命により架けられた五条大橋の橋脚の一部で、正面に「津国御影」と刻まれていることから摂津の国(現在の神戸市)から運ばれたものであることが分かります。京都国立博物館や京都迎賓館の庭にも同様の橋脚が据えられているそうです。
寺務所の入口で受付を済ませ本坊へ。
廊下右側の御来賓御控室と書かれた部屋の内部
廊下左側の部屋の内部
廊下を左に曲がると本坊があり右手に「雪の庭」が広がります。「雪の庭」は、俳諧の祖と仰がれる松永貞徳の造営で、比叡山を借景にした枯山水庭園です。妙満寺が寺町二条の旧地にあった時、塔頭・成就院の住職日如上人が貞徳の門下であった縁から、塔頭・成就院の庭として造られたものです。妙満寺の移転に伴い現在地に移されました。清水寺・成就院の「月の庭」、北野(一説に祇園)の「花の庭」(現存しません)とともに、いずれも成就院にあったことから成就院「雪・月・花の三名園」と並び称されていました。
本坊内部からの「雪の庭」
手前の白砂部分の波紋と敷石
本坊奥(北の端)の庭と手水鉢
清水寺・成就院は通常非公開となっていますが、春と秋の年2回特別公開されています。ついでに建物の外観だけ(内部は写真撮影が禁止)載せてみました。(撮影は2018年11月28日)
本坊内部の北側に部屋の様子と床の間の仏画と香炉。仏画は李晟筆の「弥勒下生変相図」(複製)です。
南側の部屋の様子
廊下を伝って本坊の北側にある展示室へ。展示室には、和歌山県道成寺にあったとされる梵鐘(安珍・清姫伝説ゆかりの梵鐘)が展示されています。
回廊の中ほどの窓から東側を見ると、大書院と雪の庭の築地塀との間の庭が見えます。
展示品を見たあと、入口に戻って今度は西側の本堂へ。
階段を登ると寺務所と本堂を繋ぐ回廊にでます。手前に太鼓があります。
回廊を渡って本堂へ。(本堂内部は撮影禁止です)
本堂奥(南側)の景色
本堂正面(東側)から山門を見た景色。
戻って寺務所を出て再び境内へ。本坊と本堂を繋ぐ回廊
本堂正面の外観と本堂に向かって右手前にある蹲踞。
本堂左手(南側)には、第27世・日経常楽院日経上人の碑と第16世・日泰心了院日泰上人の碑があります。
本堂右手(北側)の回廊を越えて左直ぐの所に、日什大正師御霊廟があります。
山門まで戻って手水舎を北側へ。雪の庭の東側の築地塀に沿って参道を進むと、大書院があります。
大書院の左側の門を入ると、資料館に至る回廊の窓から見えた庭があります。
大書院の前には参道を隔てて桜園があります。
桜園の北側には北門があり、その向こうに信行道場の建物があります。手前にある桜は藤右衛門桜と呼ばれている桜です。
信行道場の左手(大書院の北側)には頌寿園と名付けられた築山があります。
2019年05月17日撮影
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