京都庭園散歩 金閣寺(2019年05月)

場 所:京都市北区金閣寺町1

拝 観:無休

拝観料:400円

拝観時間:9:00~17:00

臨済宗相国寺派の寺。建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺として知られています。相国寺の山外塔頭寺院になります。

寺名は開基(創設者)である室町幕府3代将軍足利義満の法号・鹿苑院殿に因んで名付けられました。山号は北山(ほくざん)。正式名称は北山鹿苑禅寺。義満の北山山荘をその死後に寺としたものです。舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築でしたが、昭和25年(1950年)放火により焼失、昭和30年(1955年)に再建されたものです。平成6年(1994年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」の構成資産に登録されました。 

鎌倉時代の元仁元年(1224年)に藤原公経(西園寺公経)が西園寺を建立し、併せて山荘を営んでいました。鎌倉幕府滅亡後、当主だった西園寺公宗の謀反が発覚し、膨大な所領と資産は没収され、公宗は処刑されました。これに伴い西園寺も衰退していきました。

応永4年(1397年)室町幕府3代将軍足利義満が西園寺を譲り受け、御所に匹敵する規模にまで拡大した。この北山山荘は北山殿または北山第と呼ばれ、義満はここで政務を司っていました。

義満の死後、妻であった北山院日野康子の御所となっていましたが、北山院の死後足利義持は、舎利殿以外の建物を解体して、南禅寺や建仁寺などに寄贈してしましました。応永27年(1420年)義満の遺言により、北山第は禅寺とされ、義満の法号から鹿苑寺と名付けられました。勧請開山は夢窓疎石。

応仁の乱で西軍の陣となり多くの建物が焼失しましたが、江戸時代には主要な建物が再建され、舎利殿も慶安2年(1649年)に大修理されました。

金閣寺前バス停からすぐ西に黒門があります。黒門から真っすぐ西に参道を進むと総門があります。

境内図

総門を入ると右手に寺務所棟の建物があり、奥に庫裡と庫裡玄関があります。

正面には唐門があり

左手前には鐘楼があります。

左奥に拝観受付と拝観入口があります。

順路に従って進むと鏡湖池に面した展望所に出ます。正面に舎利殿(金閣)が見えます。

金閣は木造3階建ての楼閣建築で、屋根は宝形造・こけら葺き、屋根の頂きに銅製鳳凰を置いています。3階建てですが、初層と二層の間に屋根の出を造らないため、二重三階の形式をとっています。初層は素木仕上げとし、二層・三層は内外部とも全面金箔張り(床面を除く)となっています。初層と二層は正面5間、側面4間で通し柱を用いています。三層は一回り小さく方3間となっています。初層西側には、池に張り出して「漱清」と称する方1間・切妻造りの吹き放しの小亭が付属しています。

初層には須弥壇があり、宝冠釈迦如来坐像と足利義満座層を安置しています。二層にも須弥壇があり、観音菩薩坐像と四天王像が安置されています。三層には仏舎利を安置しています。

左側の大きな島は葦原島(蓬莱島)です。鏡湖池を中心とする池泉回遊式庭園は、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。池には、葦原島・鶴島・亀島などの島々のほか、畠山石・赤松石・細川石などの奇岩名石が配されています。

鏡湖池の向かって左側の景色。

左(西)側に進むと草門があり、閉門されていますので行き止まりとなります。草門の中の景色。

金閣を見ながら鏡湖池を右に進みます。右手に見えている建物は方丈です。

右(南東)側からの金閣

鏡湖池の東側に方丈があり、南側には手前に白砂を敷き詰め、奥に築山を設けた枯山水庭園があります。庫裡の甍と唐門が見えています。

方丈は単層入母屋造で桟瓦葺。延宝6年(1678年)に後水尾天皇の寄進により再興された建物です。

方丈と北に続く書院の西側の景色。陸船の松があります。

大書院前から陸船の松を見た景色。大書院は江戸中期(貞享年間)の建築で、伊藤若冲の障壁画がありましたが、今は承天閣美術館に移管されています。足利義満御手植えの松と伝えられるもので、京都三松の一つです。残り2つは善峰寺の遊龍松と宝泉院の富士山形の五葉松と云われています。

鏡湖池に戻って東側からの金閣。

北側からの金閣と鏡湖池。

鏡湖池を離れて北に上り、西から東へ大きく回って出口に向かいます。北に進むと売店があります。

売店の西側は行き止まりになっていて奥に草門が見えます。

売店の東横の奥に榊雲の祠があります。

足利義満に関わる銀河泉と巌下水があります。銀河泉は足利義満がお茶の水に使ったとされる泉で、巌下水は同じく義満が手洗いに用いた水とされる泉です。

次は虎渓橋(金閣寺垣)と龍門瀑・鯉魚石。

石仏があり枯れ川を見ながら、石段を登ると安民沢と白蛇塚に至ります。この辺りは西園寺家の旧跡にあたるそうです。白蛇は弁財天の使いとされています。

左端に先程見てきた虎渓橋の上端があります。

振り返ると金閣が見えます。

安民沢を巡って上にある夕佳亭を目指します。

夕佳亭(せっかてい)は、金森宗和好みと伝えられる茶室です。寄棟造・茅葺の三畳の席と勝手と土間からなる主屋に、切妻造りこけら葺の二畳の鳳棲楼と呼ばれる上段の間が連結した建物です。明治初年に焼失したため、明治7年(1874年)に再建されました。床柱には、茶席としては珍しい南天の木が使用されています。

夕佳亭の前にある義政遺愛の富士形手水鉢と燈籠

昔、貴人が腰掛かけた石で貴人榻(きじんとう)と呼ばれ、室町幕府より移設されたものだそうです。

腰掛石を北に進むと売店があり、出口の門に繋がります。

出口の門を出ると、正面に不動堂があり右手に茶所の建物があります。不動堂は天正年間に宇喜多秀家が再建されたとされるもので、金閣寺境内に現存する最古の建物です。本尊は空海作と伝わる石不動明王です。

出口門を出て参道の石段を下って最初に来た参道に戻ります。

2019年05月09日撮影

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