京都庭園散歩 安楽寺(2018年5月)

場 所:左京区鹿ケ谷御所ノ段町21

拝 観:春→4月上旬の土日(さくら)

    春→5月上旬の土日・祝日(つつじ)

    春→5月下旬~6月上旬の土日(さつき)

      今年は5月26日(土)、5月27日(日)、6月2日(土)

    夏→7月25日(鹿ケ谷かぼちゃ供養)

    秋→11月の全土日・祝日、12月上旬の土日(もみじ)

拝観料:500円

拝観時間:9:30~16:00

 (拝観関係の情報は2018年5月時点のものです)

鎌倉時代初め浄土宗元祖法然上人の弟子 住蓮上人と安楽上人が、現在地より東1km当たりに「鹿ケ谷草庵」を結んで布教活動の拠点とした。

両上人は、唐の善導大師(ぜんどうだいし)の「往生礼讃」に、大原魚山(天台宗)礼讃声明(らうさんしょうみょう)を転用して浄土礼讃を完成。

この声明が誠に美しく、参詣者のなかには出家して仏門に入る人も現れた。

後鳥羽上皇の女官として仕えていた松虫姫と鈴虫姫は、容姿端麗でかつ聡明であったため特に上皇から寵愛を受けていた。寵愛を受けるがゆえに、両姫は悩み事も多く、そんな折、両上人から念仏の教えを拝聴し感銘を受け、何時しか仏門に入りたいと思うようになりました。

建永元年(1206年)12月、上皇が紀州熊野詣に参拝の留守中に、夜中小御所を忍び出し「鹿ケ谷草庵」を訪ねて剃髪・出家し尼僧となった。時に松虫姫は19歳、鈴虫姫は17歳。

このことを知った上皇は激怒し、建永2年(1207年)2月9日 住蓮上人は近江国馬淵(現在の滋賀県近江八幡市)にて、安楽上人は京都六条河原(現在の東本願寺近く)にて斬首に処せられた。また、法然上人は讃岐国(現在の香川県高松市)へ、親鸞上人は越後国(現在の新潟県上越市)へ流罪に処せられた。いわゆる建永の法難です。

両姫はその後、瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明坊に移り、松虫姫は35歳・鈴虫姫は45歳で往生したと伝えられている。

「鹿ケ谷草庵」は荒廃したが、流罪地から帰京した法然上人が住蓮・安楽両上人の菩提を弔うために草庵を復興し「住蓮山安楽寺」と名付けた。その後、天文年間(1532年~1555年)に現在地に本堂が再建された。

 「哲学の道」より1本東山寄りの、東山慈照寺銀閣から続く通称「隠れ道」沿いにあります。銀閣から法然院、安楽寺、霊鑑寺に抜けるこの道は幽玄で「鹿ケ谷の陰謀」に思いを馳せながら散策するのも良いかなと思っています。

明治25年(1892年)に建立された茅葺の山門は、とても美しく紅葉の季節は息をのむ美しさがあります。

山門を入って受付を済ませて境内へ

生垣に囲まれた石畳の路の奥に、2010年夏に完成した客殿「椛(MOMIJI)」が見えます。右に折れたところに住蓮・安楽両上人の供養塔があり、正面の奥に松虫・鈴虫両姫の可愛い供養塔があります。残念ながら両姫の供養塔を現在奥に進めないため見ることは出来ません。

石畳の路地を左に折れると正面に方形裳階造りの本堂が見え、右に数寄屋風の書院が木々の間に見えます。

本堂は常行三昧堂として使われていた建物を江戸時代後期に移築。書院も江戸時代末期に移築されたもの。振り返って見る山門も美しいです。

本堂に向かって左手の築山の前に仏足石があります。

その奥の手水舎の近くに住蓮・安楽両上人の時世の詠が刻まれた石碑があります。

住蓮上人 「極楽に 生まれむことの うれしさに 身をば佛にまかすなりけり」

安楽上人 「今はただ 云う言の葉も なかりけり 南無阿弥陀仏 のみ名のほかには」

本堂に上がって右を見ると、中庭越しに書院が見えます。

中庭は本堂と書院と回廊に囲まれており、書院側隅に手水があります。

右に折れると客殿に繋がる回廊があります。

本殿から中庭越しに書院の庭が見えます。

書院の庭は東山を借景にした庭園です。

撮影:2018年5月26日    (無断転載を禁止します)

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