京都庭園散歩 神泉苑(2019年04月)

場 所:京都市中京区御池通神泉苑町東入

拝 観:境内自由

拝観料:無料

拝観時間:8:30~20:00(通常は9:00~17:00)

平安京最古の庭園といわれている神泉苑は、延歴13年(794年)に桓武天皇の平安京遷都に伴い大内裏の南の沼沢を開いて設けられた禁苑(天皇のための庭園)です。かつては二条通から三条通まで、南北約500m、東西240mにも及ぶ広大な庭園でした。延暦19年(800年)に桓武天皇が行幸したとの記録があり、延暦21年(802年)には雅宴が催された記録もあります。また、弘仁3年(812年)には、「花宴の節」が催されたと「日本後紀」に記載があり、記録に残っている最古の花見と考えられています。

中世以降は荒廃し、慶長8年(1603年)徳川家康が二条城を造営する際、神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれ、神泉苑は著しく規模を縮小しました。この時、神泉苑の水源も城の堀の水源の1つとして奪われました。

筑紫の僧・覚雅が朝廷の許しを得て、慶長12年(1607年)より元和年間(1615年~1624年)にかけて復興を図り、この際弘法大師との縁により、東寺真言宗の寺院となった。天明8年(1783年)の大火で堂塔社殿は焼失した。その後平安殿・本堂・方丈などが建てられ現在に至る。昭和10年(1935年)国の史跡として文化財に指定された。

二条城の南、押小路通りと御池通りに挟まれた所にあります。押小路通りの北門から境内へ

境内に入ると法成就池があり、中嶋と龍をかたどった屋形船が見え、更に奥に善女龍王社が見えます。

石畳の路地を進むと橋が架かっています。右手に細長い池があり中央に石垣で囲まれた小島があってコハクチョウ?が3羽丸まって寝ていました。

少し進むと左側に桜の間から善女龍王社が見えます。

善女龍王社は、法成就池の南側の中島に建てられています。

更に進むと、右手に本堂(利生殿)が、左手に善女龍王社に渡る朱塗りの法成橋があります。

善女龍王社へは、西側の法成橋(ほうじょうばし)か、南側の石橋を渡って行けます。

西側の法成橋は、心に1つだけ願いを念じながら渡り、その想いを善女龍王様にお願いすると叶うと云われています。

法成橋の上から北側の景色

と、善女龍王社の全景。

天長元年(824年)長く厳しい干ばつに対し,淳和天皇は、東寺の空海と西寺の守敏に祈雨の修法を行うよう命じました。ライバル関係だった二人の内まず守敏が祈祷を行いました。雨は少し降りましたが全国的という訳にはいきませんでした。次に空海が祈祷を行いましたが、全然雨が降りませんでした。

不思議に思い空海が調べてみると、常々空海を妬んでいた守敏が、国中の龍神を水瓶に呪力により閉じ込めていたことが判明。唯一免れていた善女龍王を天竺の無熱池(むねっち)より勧請し、国中に三日三晩に渡り大雨を降らすことができました。

それ以降、善女龍王は神泉苑の池に住みついたとされています。

善女龍王社正面と売られているお守りやおみくじ。

善女龍王社に向かって左(西)側には手水舎と法成橋が、右(東)側には恵方社があり池の向こう側に矢剱大明神社が見えます。

南側には石橋があり渡ってそのまま進むと石の鳥居があり御池通りに出ます。

石橋を渡って左(東)手に折れると小さな祠の天満宮と弁天堂があります。

弁天堂の東側から北の法成就池を見た景色

更に東に進むと矢剱大明神社があります。

矢剱大明神社の前から桜越しに西北の法成就池を見た景色。

境内図。

2019年04月05日撮影

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