京都庭園散歩 善峯寺 Ⅱ(2019年06月)
Ⅰからの継続で、多宝塔・経堂を経て、開山堂から白山櫻あじさい苑まで。
護摩堂前から「遊龍の松」を潜って石段を上がると、多宝塔の前に出ます。左に「遊龍の松」がL字型に低く伸びて、右側に多宝塔と経堂が並んで建っています。
「遊龍の松」は樹齢600年以上の五葉松で、当初は50m以上もありましたが、松くい虫の被害にあい現在は37m程で地を這うように横に伸びています。昭和7年(1932年)に国の天然記念物に指定されました。安政4年(1857年)に花山前右大臣家厚公により「遊龍」と命名されました。標石は明治26年(1893年)鳥尾中将の書です。
奥の経堂前から、西の護摩堂の方を見た景色。
多宝塔は檜皮葺三間で元和7年(1621年)建立、本尊は愛染明王です。国の重要文化財に指定されています。
奥の経堂は宝永2年(1705年)の建立で、傅大士(ふだいし)(中国南北朝時代の僧)を奉安し、鉄眼版一切経が収められています。傍に桂昌院御手植えと伝わる、樹齢300年以上の枝垂桜があります。この桜は紅葉との合体木で、傍らに「春ははな 秋はもみじの むすび木は この世のしあわせ めでたかりけり」と刻まれた句碑があります。
境内案内図(再掲)
経堂の奥(西側)には釈迦堂に通じる石段があります
経堂と多宝塔の間から南側を見ると、先に訪れた観音堂前から続く石段(三叉路の直進部分)が見えます。
また、経堂の前からは、奥の阿弥陀堂まで続いている三叉路の左折れ部分が見え、その向こうに観音堂の甍が見えます。
多宝塔の横を通って開山堂へ。開山堂は、貞享2年(1685年)建立で、開山の源算上人の廟所となっています。
開山堂から振り返って南側の護摩堂を見た景色。ここからも京都南部が一望出来ます。
順路から外れて、開山堂から幸福地蔵の祠前を通って「白山櫻あじさい苑」へ。
開山堂と幸福地蔵の祠の間から、北の「白山櫻あじさい苑」を見た景色。右側の下の方にあります。
幸福地蔵の祠の廂の下に小さく見えている鳥居が、白山社です。その右に見えているのが、三鈷寺へ至る北門です。鳥居の真上、画面の上端に僅かに見えているのが薬師堂の前にある「けいしょう殿」です。
幸福地蔵の前には、「自分以外の人の幸せを願いましょう」と書かれた表示板があります。
幸福地蔵を過ぎて右手に坂道を下ります。坂道の下り口から正面(東側)を見ると、山間から京都の街並みが見えます。
そのうち道が分かれ、1つはあじさい苑へ、1つは白山社へ、残り1つは北門へと続いています。
写真の左上の緩やかに弧を描くように登る石畳の路を進むと白山社に至ります。写真左下端に僅かに写っている道はあじさい苑に下る坂道です。先で3つのわかれ、1つは写真中央の石燈籠に、1つは写真右下端の白山名水前を通って円状に回って戻ってくるようになっています。
先ずは白山社へ。白山権現が祀られています。
白山社の前から少し戻って、一旦北門の方へ。北門の手前左手に十三重石塔が建っています。
北門前から右手に釈迦堂に続く坂道があります。
この辺りから、南東方向に目をやると、幸福地蔵の祠と開山堂の遥か向こうに京都の街並みが一望出来ます。
元の戻って白山櫻あじさい苑へ下ります。白山社の下、石畳の路の突き当りにある石燈籠。
更に下ると白山名水の洞があります。「西山善峯寺縁起」に白山明神が出現された奇譚の地として描かれています。開山の源算上人が写経すべく苦心して写経用紙を手作りしていると、白山明神が現れて、手本となる法華経経巻と浄水を授け、翌日には五色の雪が降ったそうです。
白山名水の前から振り返ると幸福地蔵の建物が見えます。
あじさいを見ながら道なりに進むと、くるっと回って幸福地蔵の下に戻って来ます。
元来た幸福地蔵の下の坂道を登って、今度は鎮守社の方に向かいます。
白山櫻あじさい苑のあじさいの花。
鎮守社以降はⅢへ。2019年06月12日撮影。
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